いつもありがとうございます😊
あかりです。
『ツインレイ講座』の準備も終わりようやく落ち着いてきました。
ヒプノセラピー・セッションとカウンセリングレポートを、また少しずつ上げていきたいと思います。
(と言ってもこちらは1月8日の分💦)
noteからご紹介しています。
https://note.com/cocoroniakari/n/n7eea7377f6e1
本日のご相談者さまは、お声に透明感があって笑顔がチャーミングな女性(Dさんとします)。
Dさんは明るくはつらつとお話になります。一方で、お相手とのことを思い出すと、何かがこみ上げてくるのでしょう、声を押し殺してしまう部分もあり、このセッションにいらっしゃるまで一人でずっと辛さを噛みしめ悩まれていたのが感じ取れました。
突然の強制終了
「私のような人間をこれだけの条件で雇ってくれる会社はないんです。」
お勤め先にはご恩もあるし、ずっと必死に働いてきたDさん。残業に次ぐ残業で日を跨いだことを忘れるほど!家には寝に帰るだけ…過酷な日々に翻弄されていました。
そんな時、不慮の事故に遭ってしまいます。ただ…詳細を伺えば伺うほど、「え?この出来事がこんな大惨事になってしまうの?」と思うほど、不思議な事故でした。その後、心も折れ、休職と言う事態を迎えます。畳みかけるように続く不幸、それはお相手とサイレントに入ってしまったことでした。サイレントに入る前後から、お相手を狙う一人の女性の影が現れてきます。
「私はあらゆるものを失ってしまったんです…」頭を持たれるDさん。
しかし、哀しみと同時にDさんの心には、大変な怒りが籠っていました。これはどうしてだろうか…
苦労するお母さんを見て
Dさんは幼少期から明るくとても優しい女の子でした。一方で、姑さんなどでとても苦労してきたお母さんは常にストレスに晒されてきたためか、いつも苛立っていました。
そして何を話しても、「あなたはいいわね。(でもね、私はそんなことはできないのよ)」と非言語の部分で、ご自身を認めてくださらない…そうやって大きくなってきました。
「これ、やってみたいと思うの」と言えば、「なんでやりたいことがコロコロ変わるの」となるし、「今日はね、こんな日だったよ!」と言えば、「いいわよね、あなたはどうせ…」と暗に否定されてしまう…。
いつしか、心優しいDさんは、「私はお母さんより幸せになってはいけないの」と一つの信念体形を作ってしまっていたのでした。私が幸せだと、お母さんは喜んでくれないのだ。幼い頃に作り上げてしまったこの信念、実はその裏側にもう一つの魂の叫びがありました。
「私を認めて!」
彼につきまとう一人の女性の影
一方で、Dさんのお相手も、幼少期にやはりとても苦労をされてきた方。
事情があり、お相手が家族を支えなければならなかったのです。孤独な彼の心から聞こえて来るもの、それは「オレが何とかしなくちゃ…」彼は大きな責任を背負いながら、必死に家族の面倒を見てきました。逃げ出したかったかもしれない。ご自身の運命を恨んできたかもしれない。それでも、家族を一番に頑張っていたのです。
そんな中二人がサイレント期に突入、その前後から彼に一人の女性がしつこく付きまとうようになります。仕事中の鬼メール、毎度無理やりお相手を誘っては、出かけた先のレストランで匂わせSNS投稿する…。
とても辛いものです。Dさんが以前彼と一緒に食べに行ったところが、その女性によって次々とSNSアップされるのですから…。
私を認めて
しかし、ここで見えてきたものがありました。
付きまとう女性がどうしてこんなにSNSで「幸せ」を人々に大々的にアピールするの?そんな「寂しい!かまってちゃん」を受け入れることで、ご自身に存在意義を見出そうとするお相手…。
「これは…もしかして、共依存ってやつですか?」
Dさんがふと言葉にします。どんなに疲れていても、すがってくるその女性を優しく受け止めてあげようとする。でもそれは愛情ではなくて同情でした。そして、彼女を受け止めることで、ご自身の存在が救われる…そんな彼女への同情心がご自身の承認欲求を満たしているのではないか…。彼の中の満たされない何かを補うのが彼女への同情心だったのです。
少しの沈黙のあと、Dさんとあかりが瞬間的に気づいたことがありました。
お母さんとの間で作られていったDさんの「私を認めて」と言う心。幼少期に、どうやってもお母さんに受け入れてもらえなかったDさんは、それを仕事に没頭することでご自身の承認欲求を満たそうとしていました。なのに、休職する事態に追い込まれてしまった…。
そう、Dさんは仕事に埋没する中で自分の存在価値を見つけようとした。一方で、お相手はしつこい女性への同情心の中で、自分の存在価値を見出そうとしていたのです。
「あぁ、…私は私のままでいい、私はこれでいい…ここに自分を落とし込むことなんですね。」
Dさんがふと呟きます。
そうなのです、私たちはもうそれで十分なのです。今、この時点で完全で完璧だということ。もう、「私はまだまだなの!」と外にご自身の評価を求めていくと軸が外に出ていきます。ご自分の評価が自分軸から、他人軸に移ってしまうのです。絶対評価でなく、相対評価になってしまう。
私はだれの評価も要らない、なぜなら私はこれで完璧なんだもの…そう魂が落とし込めた時、鏡のお相手も外にご自身の存在価値を見出すことを止める日が来るのでしょう。なぜなら、お二人の魂の成長は連動していますから。
本日も最後までどうもありがとうございました。